黒田官兵衛

黒田官兵衛とは

秀吉の軍師として数々の合戦を勝利に導き、秀吉の天下統一に貢献した人物。軍事・政治・戦略すべてに秀でた武将であり、信長・秀吉・家康と豪傑たちが乱立した戦国時代を生き、九州・福岡藩52万石を築き上げました。官兵衛とは通称で孝高(よしたか)が正式名。

黒田家“礎”の地『備前福岡』

瀬戸内市長船町福岡、通称『備前福岡』。近江黒田村(現:滋賀県長浜市木之本町)から追われた黒田官兵衛の曽祖父・高政と祖父・重隆は一族を引き連れて『備前福岡』に移住し、黒田家再興の基盤を整えました。やがて黒田家は播磨に移住し、官兵衛と子・長政は大名、大大名へと発展します。 黒田家にとって『備前福岡』は“礎(いしずえ)”の地なのです。

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黒田官兵衛×商都『備前福岡』
中世の商都・備前福岡の賑わいを今に伝える

『備前福岡』は、山陽道と吉井川が交差する交通・流通の要所に位置します。中世には山陽道随一と云われた商都であり、人・物・金・情報が集う賑やかな場所でした。国宝「一遍上人絵伝」に描かれた「福岡の市」でも有名なところです。 かつては備前守護が置かれた備前地域の要の地でもあり、吉井川の中州を利用して築城された福岡城の側に商業地が発展しました。 今でも中世から続く整然とした広い道、防御機能が町並みの残っており、かつての繁栄を偲ぶことができます。

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慶長5年(1600)に関ヶ原の論功行賞で筑前52万石を賜った官兵衛と長政は、博多の隣に新たな城を築きます。その地に「是本を重んじ始を忘れざるの意」という思いを込めて『備前福岡』から名を取り、『福岡』と名付けました。福岡県福岡市の地名の由来はここ『備前福岡』だったのです。 ちなみに『備前福岡』の初見は永万元年(1165)です。

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黒田官兵衛×教意山妙興寺
礎の地を色濃く縁取る、曾祖父・高政が眠る寺

妙興寺は応永10年(1403)に播磨の国主・赤松則興の追善供養のために開かれたお寺です。 ここの境内に黒田家墓所があり、大永3年(1523)に亡くなった高政の墓があります。後に重隆の供養塔も立てられたと云われています。 備前や備中の宇喜多家や毛利方の調略や備中高松城攻めなどのため、官兵衛はこの地域に何度も訪れており、きっと備前福岡に立ち寄り、高政の墓に手を合わせたことでしょう。

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黒田官兵衛×刀愛
『備前福岡』は多くの名刀が生まれた名刀の里

備前刀は国宝の刀剣類111口のうち55口を占め、その生産量も他の地域を圧倒していました。そんな備前刀の生産の中心が『刀剣の聖地・長船』です。備前福岡には鎌倉時代に活躍した福岡一文字派と呼ばれる刀工集団がおり、天正18年(1590)の小田原攻めの際、官兵衛は北条家から福岡一文字派が作った家宝の太刀「日光一文字」(国宝)などを贈られています。また、陣刀の「安宅切」(国重文)は長船祐定の作です。 現在『刀剣の聖地・長船』には「備前おさふね刀剣の里」があり、全国でも珍しい刀剣専門に展示する博物館や鍛錬場、刀剣工房があり、世界に誇る伝統美術工芸である刀剣の歴史と技術の粋にふれることができます。

008 007  →備前長船刀剣博物館