郷土の歴史

備前福岡は国宝『一遍聖絵』の中に「福岡の市」が立つ場所として描かれ、歴史教科書にも必ず紹介されてます。
鎌倉時代に定期市として始まった中世「福岡の市」は常設市へと発展し、室町時代の備前福岡は山陽道で最大級の商都として栄えました。
その繁栄ぶりは、関ヶ原で戦功のあった黒田長政が筑前52万石の大名として築城の際、先祖が暮らした備前福岡にちなみ、福岡城と名付けたことにも現れています。また、備前福岡の商人たちは岡山の一大商店街「表町」の基礎を築くなど、各方面に足跡を残しています。
およそ700年の時を経た2006年3月、現代版「備前福岡の市」が産声をあげました。福岡の史跡碑に隣接する竹薮を地元住人が切り開き、近隣の農業者・商工業者10数組が出店した手作りの市でした。
その後、毎月第4日曜日開催の定期市となり現在に至っています。
4月と11月には、「備前福岡の大市」として、中世に常設市があった備前福岡の大通りに「市場小路」で地域を挙げて盛大に開催されます。悠久のときを越えて甦る現代の市をここ備前福岡にてお楽しみ下さい。

備前福岡の年譜

●1165(永万元)  「福岡庄」の名が南都一乗記録に初見される。
●1208(承元2)  後鳥羽上皇の天下の刀匠の中から選び、月番をもって太刀を鍛えられたが、選ばれた者の大半は福岡の刀匠であり、平安時代末から鎌倉時代中頃にかけてが、福岡一文字派の黄金時代であった。
●1278(弘安元)  一遍上人「福岡の市」で、説法をする。
●1325(正中2)  「福岡庄」東寺領となる(室町末期荘園消滅まで)。
●1350(観応元)  将軍足利尊氏、その子直冬鎮定のため、大軍を引きつれ西下の途中、福岡に40日駐留する。
●1371(応安4)  九州探題として西国に下向した今川貞世の紀行文「道ゆきぶり」に、福岡の繁栄ぶりが書かれている。
●1403(応永10) 教意山妙興寺創建。
●1467(応仁元)  ~1485(文明17)この間、赤松・浦上と山名・松田両軍により、福岡城攻防の合戦が3次にわたり行われた。
●1523(大永3)  近江の国から福岡に移住した黒田高政は、この年、死亡したといわれ、その子重隆と孫職隆は2年後に福岡より播州に移り、小寺家に仕官している。
●1536(天文5)  天文の始め宇喜多直家、父興家とともに福岡の豪商阿部善定方に寄宿、この年、興家死亡と伝えられる。
●1573(天正元)  岡山城主となった宇喜多直家は、城下町作りに着手し、備前福岡の商人らを岡山に移住させる。
●1591(天正19) 吉井川の大洪水により福岡は甚大な被害を受ける。
●1600(慶長5)  筑前52万石に封ぜられた黒田長政は、居城を備前福岡を偲び福岡城と命名する。
●1642(寛永19) 福岡が岡山藩の設定した13の在町の一つとなる。
●1645(正保2)  苅屋城主池田輝興、福岡に幽居の身となる。
●1664(寛文4)  福岡上道郡より邑久郡に編入される。