黒田高政

黒田 高政(くろだ たかまさ)

生年不詳年 – 大永3年(1523年)?)は、戦国時代の武将。黒田高宗の子。子に治高(長男)、重隆(次男)、広隆(三男)、靖春(四男)。
永正8年(1511年)の船岡山合戦に六角方として参戦したが、六角高頼の命に背いて抜け駆けしたことから将軍足利義稙の怒りを買って追放され、親族を頼って備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に流れてきたとされる。子孫は播磨の赤松氏・小寺氏の家臣を経て、安土桃山時代に豊臣氏、江戸時代に徳川氏に仕え大名となった。

墓所は岡山県瀬戸内市長船町の妙興寺。

kuroda(出典:wikipediaより)