ガイドお薦め

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中世の城下町、山陽道随一の商都の面影を今に残す備前福岡を、私たち観光ボランティアガイドが誠心誠意ご案内させていただきます。

定期ボランティアも開催中(原則、事前予約をお願います。)

モデルコース

Start→★仲﨑邸①教意山妙興寺→妙興寺の大イチョウ→②宇喜多興家公墓所③黒田家墓所④備前福岡郷土館⑤福岡の市跡→恵美須宮→大野山神社→⑥七つ井戸→縄文埋も木→福岡城跡の丘→牛神様→摩利支天堂→中世城下町 襞(ヒダ)と歪(ヒズミ)→薬王寺跡→地蔵堂→妙見堂→⑦福岡一文字碑→福岡だんじり庫→Return

オススメスポット

まずはココ!(仲﨑邸へGo!)

仲﨑邸・・・

仲﨑邸は瀬戸内市長船町備前福岡景観形成重点区域の東小路に面し妙興寺の北側に位置しています。明治時代末期から大正時代にかけて建てられた邸宅からは、中世より育まれた人・モノ・財力・情報の一大集積地「商都・備前福岡」の豊かさと、それをひけらかさない趣味のよさや奥ゆかしさも伝わってくる不思議さがあります。

教意山妙興寺・・・教意山妙興寺本尊は三宝尊、脇士は四天王。応永10(1403)年、播磨の国主・赤松則興の子、日伝上人によって創建された日蓮宗の寺院です。本堂には鬼子母神がまつられており、毎月8日の晩に鬼子母神講が営まれています。

宇喜多興家公墓所・・・岡山城を築いた宇喜多直家の父興家は、福岡の豪商・阿部善定の保護を受けてこの地で過ごしました。天文5(1536)年に病死し、墓とともに供養塔とも伝えられるものが妙興寺にあります。

黒田家墓所・・・黒田官兵衛孝高(如水)の曾祖父高政のものと伝えられる墓石が妙興寺にあります。慶長5(1600)年、官兵衛の子長政が博多の西に城を築き、祖先の故地にちなんで福岡城と名付けたといわれています。

備前福岡郷土館・・・大正3(1914)年に建てられた洋風の病院の建物を利用して国宝一遍聖絵「福岡の市」をデジタルでご覧いただけます。

福岡の市跡・・・福岡の市は、鎌倉時代福岡庄で開かれていた定期市のひとつだったと推測されています。弘安元(1278)年、一遍が福岡の市で説法する様子を描いた『一遍上人絵伝』は、当時の風俗を知る上で貴重なものです。
→平成18(2006)年3月より、毎月第4日曜日に現代版備前福岡の市が復活しています。(4月と11月は大市)

七つ井戸・・・「備前福岡名所町、七口、七つ井戸、七小路」といい伝えられているように、田舎では珍しく広い道路によっ区画されています。七つ井戸は各小路にひとつずつあり、生活用水や防水用水に利用されていました。

福岡一文字碑 ・・・福岡の名が天下に知れ渡るようになったのは福岡一文字によってです。福岡一文字は長船とともに名刀の代名詞になりました。鎌倉時代初期の則宗(のりむね)を始祖として鎌倉時代中期にかけて多くの名工を輩出しました。則宗は、後鳥羽上皇の御番鍛冶に召され、刀の茎(なかご)に菊花の紋章を彫刻することを許されたので、世にこれを菊一文字といいます。